“個の集団”から“モノづくり企業”へ
3年間で売上3倍―急成長が生んだ歪みに対応/JMCを通じて出会った業界の仲間が心の支え
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精密機械工学を学び、SEとして4年勤務
「私が今やろうとしていることは、“個の集団”から“モノづくり企業”への脱皮。そのための基盤づくりをしているまっただ中です」と小瀬公嗣専務は語っている。
小瀬専務は幼少期から家業である武蔵工業の工場によく出入りし、高校生の頃はアルバイトで穴あけやタッピング加工を手伝った。
「板金加工の現場は小さい頃から見ていましたから、どんな仕事かはなんとなく理解していました。父が私に事業を継承してほしいと思っていることは、伝わっていました。しかし父は、『是が非でも』というよりは『本人の意思で継いでほしい』という思いが強かったようです。母は、苦労している父を間近で見てきましたから、『息子に同じ苦労をさせたくない』という親心があったようです。私自身はというと、当時は家業を継ぐかどうか明確な意思があったわけではありません。しかし迷いながらも『たぶん継ぐことになるだろうな』という漠然とした思いは持っていました」。
三者三様の思いの中、小瀬専務は大学進学時に精密機械工学科を選択した。機械・電気・電子・情報の各分野を幅広く学べ、「会社を継ぐことになってもムダにはならない」という考えがあったからという。
大学卒業後は大手IT企業に入社。SEとして4年間勤務したのち退職し、26歳で武蔵工業に入社した。
「社会勉強の意味でも大手企業で3年くらい経験を積んでから事業継承の結論を出そうという考えでしたが、私の気持ちはほとんど会社を継ぐ方向で固まっていました。当初は3年間の予定でしたが、後任の手当てや引き継ぎですぐには抜けられず、1年伸びた格好です」。
「正式に会社を継ぐと決めたとき、もちろん父は喜んでくれましたし、母も『やるならしっかりね』と励ましてくれました。子どもの頃から工場に出入りしていて様子がわかっていましたし、もともとモノづくりが好きでしたから、無理なく自然と選択できました」。
3年間で売上3倍
㈲武蔵工業は1971年、小瀬専務の父親である小瀬利治社長が川崎市中原区で創業。1982年に事業拡張のため法人化し、1986年に現在地に移転した。通信機器や医療機器向けに精密板金加工をメインとした受託加工サービスを展開し、従業員5名前後という小規模ながら、丁寧な仕事で得意先の信頼を得てきた。
2006年に入社した小瀬専務が2009年に専務に就任してからは、設備を増強しながら新規得意先を次々に開拓、事業は急速に拡大していった。開拓した新規得意先は10社以上、2009年以前の既存顧客が売上に占める割合は20%程度まで減少し、2013年から2016年の3年間で売上は約3倍に成長した。
加工設備も毎年のように導入した。2009年に3次元ソリッド板金CAD SheetWorks、2011年にレーザマシンQuattro、2012年に生産管理システムWILL、2013年にベンディングマシンHD-8025NT、2014年にパンチ・レーザ複合マシンLC-1212C1NT、2015年にパンチングマシンEM-255MⅡとベンディングマシンFMB-NT×2台、2016年にベンディングマシンEG-6013と板金エンジニアリングシステムVPSS 3iを導入している。
スペースを確保するため、新たに貸工場を3棟借り、現在は本社工場と合わせて4棟。本社工場はプログラムとブランク工程、第2工場は曲げ・溶接工程、第3工場は検査・梱包・出荷工程、第4工場は倉庫と使い分けている。従業員数も、2009年の4人から、現在では13名に増えた。
会社情報
- 会社名
- 有限会社 武蔵工業
- 代表取締役
- 小瀬 利治
- 専務取締役
- 小瀬 公嗣(まさつぐ)
- 住所
- 神奈川県横浜市港北区新羽町574-6
- 電話
- 045-531-1304
- 設立
- 1982年
- 従業員数
- 13名
- 主要事業
- 情報通信機器・測定機・食品機械・医療機器などの精密板金加工(設計・加工・溶接・塗装・組み付けなど)
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